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心は脳からどのようにして生まれるのか?

 投稿者:永井哲志  投稿日:2013年 1月26日(土)11時03分27秒
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  心は脳からどのようにして生まれるのか?

―脳の神経幹細胞と植物の生長点細胞との対比による理論から考える―

             南大谷クリニック 研究紀要 2012       著者 永井哲志


目次
1.はしがき
2.なぜ動物と植物を対比したのか?
3.心とは? ―― これまでの脳科学によるアプローチ
3.1 心はどこにあるのか?
3.2 心理学による心の解明
3.3 脳科学による心の解明
3.4 脳科学の問題点
4.脳と桜の成長
4.1 神経幹細胞の存在による新理論
4.2 脳の神経幹細胞と桜の生長点細胞
5.心はどのように生まれるのか?
5.1 -脳の発生過程からの推測-
5.2 形態と機能
5.3 時間の役割
5.4 自己意識
5.5 直観
6.心の発達過程
7.あとがき

要約

 機械は与えられたシステムで機能しているが、私たち人間は本能だけではなく心にも基づいて考え行動している.その心とは何か、脳からどのように機能として生まれるのかが依然として説明できていない.それを明らかにするために、心理学では心が細かくいくつかの成分に分けられた.そして脳科学では、その成分が脳のどこで起こっているかという機能局在をはっきりさせ、そこでどのよう数々の細胞が互いに活動しているかを調べれば、やがて心と脳の関係が明確になると信じられている.しかし、何らかの原因で脳のどこかの局所に欠損が生じても、自分の存在に気づくこと(自覚)ができる限り、それにともなう機能障害は認められるにしても、心の根底をなす直観はあくまで存在し続けている.つまり、これまでの脳の機能局在論による解釈の仕方だけでは心は脳のどこにもないことになり、機能局在論を積み上げても心そのものを説明はできない.脳によって生まれる心は、生物の各器官と同じように、ある種の幹細胞が分化してできるあらゆる生命現象の1つとして考える必要がある.
 植物、動物や生きているものすべてには、共通する仕組みがある.それは、必ず誕生から死まで常に遺伝子情報によって受け継がれた自己と非自己とを識別し、休むことなく成長し続ける未分化な成長点(時間の流れと共に成長する部分)を持っているということである.成長点は分化を終えると何らかの痕跡となって残り、また新しい成長点は生まれる.これを繰り返して記憶は積み重ねられ、個体の一生は常に変化している.この成長点と記憶のメカニズムが生命の基本と考えられる.
 植物は生長点細胞の分化によって環境の変化に反応して成長している仕組みを肉眼ではっきりと捉えることができる.桜の樹木「バラ科バラ属の落葉広葉樹林であるサクラ」(以下、桜と呼ぶ)を観察してみると、解剖学的な脳の発達構築は、桜の太い幹から大枝、小枝への枝分かれの派生に類似する.今まで注目されなかった数々の神経幹細胞の活動がどのような役目を果たして心という現象を生みだすのかを、桜の成長と対比しながら考察した.
 その結果、大脳に存在している数々の心の構成要素(桜の小枝にあたる)にあるそれぞれの神経幹細胞(桜の生長点細胞にあたる)が外部環境からの情報に対応して神経細胞やグリア細胞(つぼみや花、葉にあたる)へと分化することによって、新しい組織は記憶、システム(新しい茎にあたる)として積み重ねられる.一方では、再利用されない古い神経組織や何らかの障害を受けた神経組織は脱落して(日の当たらない枝が折れるのに相当する)、その部位の記憶はなくなる.こうして、脳も桜も生きている限り常に成長している.
 つまり、心とは大脳にある神経幹細胞群(桜の枝にある生長点細胞群)が外界からの情報と自己の記憶(桜の幹や枝)を基にして、未来に向かって分化している活動と考えられる.

1.はじめに

 脳は最近のテクノロジーの進歩をもってしても、その機能を生み出す仕組み、働き、病気、及び治療法についてはまだ不明な点が多く、解明できたことは氷山の一角にすぎない.これまでの研究が明らかにしたことは、脳のどこを探しても、たくさんの神経細胞(ニューロン)とそれを支え養うグリア細胞、それに縦横に走る血管しか見当たらないということである.
 水面下にはまだ根本的に理解できていないことが隠されている(伊藤正男、1998).例えば、ニューロンやグリア細胞だけでどのように記憶や思考、感情などを生み出すのかを説明しようと試みれば、見当がつかないことに気づく.だからといって、私たち人間がこれまで明らかにしてきた物理現象や化学反応、さらには最新式のコンピューターの仕組みでも到底説明できない.それは脳を構成している無数の細胞が、それぞれ個々に生命をもって変化・分裂している現象だからである.この根本的な問題に応えるための生命化学の研究も、目には見えない分子レベルの世界にまで入り込んで多大な成果をもたらしたが、脳と心の関係はなおはっきりしていない.
 人間の生命の営みと、植物例えばその象徴的な桜の木「バラ科バラ属の落葉広葉樹林であるサクラ」(以下、桜と呼ぶ)の成長には、同じ生物として「細胞から細胞へ分化し続ける」という共通する生命現象が存在する.桜にも自己を認識し環境の変化に対応できる、脳と似た仕組みがある.それは根や茎の先端にあって、活発に細胞分裂を行い、新しい組織を作るもとになる「生長点細胞」である.植物である桜には、外界の刺激に対して同時に相反する思考や反応を生み出す脳のような器官は認められないが、この無数の「生長点細胞」の分化によって、移り行く季節に合わせて、つぼみから花や葉、枝へと、1 本の木としてみごとな成長を遂げていく.
 近年、大人の脳の中にも、植物の生長点細胞と同じような働きをすると考えられる神経系に属する各種の細胞になることはできるがまだ細かく分化を遂げていない「多様性」をもつ「神経幹細胞」が見つかったことによって、「高等動物の成体の脳ではニューロンの新生は起きない」というかつての常識が覆されてしまった(Gerd Kempemann、Fred H.Gage 1997).この新たな「神経幹細胞」の発見は、脳も植物と同じような成長の仕組みで活動している可能性を示唆している.これは、これまでの脳科学的手法とは違った素朴な思考からも、複雑で難解とされてきた脳の働きの解明が可能になったことを意味している.心の理解は人類に残された最大の課題といわれているが、原理的にも最も困難な課題の1つであり、従来の科学的な手法に固執しているだけでは大きな進歩は望めない.本論文は、脳の働きの説明にこれまでは用いられなかった植物の「生長点細胞」と脳の「神経幹細胞」とを対比した理論を用いて、「どのようにして脳から心が生まれるのか?」について直観的に考察した.

2.なぜ動物と植物を比較したのか?

 フランスの哲学者、数学者であるパスカル(Pascal、1623~1662)の「人間は考える葦である」ということばがある.それでは「葦」に代表される植物とはどのような生き物なのか.植物は考えることや感情を持つことはないように思われるし、その必要もない.その生きている姿も理解しやすい.しかしその感覚は鋭く、自然の変化に対応しながら巧みに成長していて、クローンで増える能力さえある.
 古くの生物学では、肉眼でしか確認できない植物と動物だけが生物だと考えられていた.やがて顕微鏡などにより、現在ではこれら動物や植物、目に見えない微生物などを総称して生物としている.その明確な生物を定義する特徴は細胞から成り立っているということである.細胞とは、全ての生物が持つ、遺伝子(DNA)を包む微小な部屋状の最小単位のものである.
 この地球上のありとあらゆる生物、動物だけではなく、植物もアメーバ、細菌も、その生命現象の基本メカニズムは同じである.さらに細胞の基本構造、代謝の基本的な仕組み、果てには遺伝子のみならずその化学分子の暗号コードに至るまで大部分は同じである.だから、細胞レベルで見れば、植物と動物は生物として基本的に変わらない.大きな違いとしては、太陽からのエネルギーを受けて生存している植物では、動物のように行動してほかの生物からそれを獲得する必要がないということである.また動物にはいろいろな臓器があり、特に脳という特有な器官で自分と他人を識別し、あらゆる臓器をコントロールして1つの固体として自生している.物事を認知できる能力(自己意識)が人間の脳の最も特有な役目である.その脳の仕組みを知ることは小生の仕事上、絶対的に必要である.残念ながら特に研究設備を持たない当診療所の限られた条件の中では、日々の人間の暮らし、特に共に生きている「脳=人間=生物」の活動と窓の外に見える「桜=生物」に着目してみるしか方法がない.古代より日本人の心とされ、私たちの身近で季節の歩みと共に芽ぐみ、花を咲かせ、葉を茂らせ、そしてまた裸木となって冬眠する桜.その桜の優しさ、美しさ、たくましさは「生きていることとは何か?」の本質を教えてくれているのではないか?などを思い浮かべながら「心とは何か?」を考察した.

3.心とは?-これまでの脳科学によるアプローチ

3.1 心はどこにあるか?

私たちは眠っていた状態から目を覚ます(覚醒する)と、目や耳、皮膚などのさまざまな感覚器から外界を自然に意識する.そして、社会に存在している自分の記憶を基にして考えたり、認識したりするのである(自意識).心はこれまで、「脳のあらゆる精神活動のもとになるもの」、あるいは「精神活動の総称」としか定義されていない.なぜならば、脳には筋肉がないので、直接肉眼でその活動を知ることはできない.この目には見えない「脳の活動」は、いろいろな外界からの刺激、人の表情や態度、動作に現れた様子や話し言葉などから間接的に判断している.そして私たち人間はまた、お互いに目には見えないことや言葉では表現できない複雑な「認識」をも心と呼ぶこともある.さらに何かを考え思い浮かべたりしたときに、自ずと出てくる「考え」をも心としたりしている.
 「心とは何か? どこにあるのか?」という疑問は、文明の発祥以来、人間になげかけられてきたものである.6千年前のエジプトでは、「心の座は心臓にある」という考えが生まれていたし、4千年前のバビロニアでは「肝臓にある」とされていた.より体系的な学問が芽生えたギリシャ時代には、「脳または心臓の働き」が心を生むとされた.
 たとえば、医学の祖とされるヒッポクラテス(Hippocrates 前460?~377?)は、心は「脳の営み」だと考えていたし、哲学者プラトン(Platon 前428 頃~347 頃?)は「脳と脊髄にある」と唱えていた.一方、プラトンの弟子であるアリストテレス(Aristoteles 前348~前322)は、「心は心臓にある」と考えた.
 アリストテレスの思想はヨーロッパでは大きな影響力を持ち続けたので、長い間「心臓が心の座」と考えられてきた.ところが、17 世紀に現代科学の方法論が生まれると、「脳」がふたたび注目されるようになった.たとえばフランスの哲学者ルネ・デカルト(Ren?Descartes 1956~1650)は、心や意思の源は、「脳」、なかでもその奥深くにあって「目の神経とつながって光を感じ、ホルモンを分泌する松果体」に存在すると主張した.また、2世紀に活躍した古代ローマの医師ガレノス(Galenos 130 頃~200 頃?)は解剖学の研究に努力して、「精神の働き」は脳の実質に在るのではなく、「脳屋」という脳の内部の「脳脊髄液のたまっている空間にある」と考えた.
 その他にもいろいろな考えがあったが、17 世紀以降は、「心は脳と関係がある」という点では大差がなくなった.違いがあったのは、その「関係」についての考え方で、大きく分けて一元論と二元論の2 つがあった.一元論では、「心は脳の活動と同じもの」であり、同じ過程を別の言葉で表したにすぎない.一方、二元論は、「心」と「脳」は別のもの、別の過程であって、「心は脳から独立している」という考えだった.
 これらの考え方はまさに根底から異なっていたので、長い間対立が続いた.優勢だったのは二元論で、これは二元論が宗教、とりわけキリスト教の説く考えと矛盾しないためだった.実際、18 世紀に一元論的な考え方を表明したフランスの医師デラメトリ(Julien Offroy de La Mettrie 1709~1751)は、主として生理学の力を借りて、人間の精神活動は脳という物質の働きにほかならぬことを論証したが、それが発表されると宗教界に激しい憎悪の嵐がまきおこり、亡命を余儀なくされた.
 しかし今日では、一元論的な考え方、つまり我々の「心が脳の働きによって生み出されている機能」と同一であるということに疑う余地はない.人間の脳が無数の神経細胞の網の目からなるということ、そしてあらゆる心的活動がこの網の目の間から紡ぎ出されるという事実は変えようもない.だからといって、脳のどこを探してもその証拠となるようなものは形としては見つからない.また、「心は果たしてどのようにして脳から生まれるのか?」という問いに対しても、はっきりとした答えはまだ出されていない.

3.2 心理学による心の解明

植物はいったん大地に根を下ろしてしまうと移動することはできないが、その場所で季節や環境の変化をありのままに感じ取って微妙に自分自身を変化させ、適応している.しかし私たち人間は単純に反復運動をするだけではない.自分の環境を認知し、脳の中から自ずと生じてくる記憶や感情、気分などや思考に基づいてコントロールされている.
この人間の内面の、心理的・精神的な発生過程を科学的に研究する歴史は、
1879 年にドイツの生理学者・哲学者ブント(Wihelm Wundt 1832~1920)が
ライプツィヒ大学にはじめて心理学教室を創設したときにはじまる.しかし、内面的世界で生じるさまざまな現象は漠然としていて、直接、客観的に測定することは難しい.そこで心理学では、客観的に、外から測定できる行動の研究を通して、内面の心理的精神的な過程を明らかにしようとする.学習、記憶、知覚、認知といった行動について、内に潜む心的過程と外に現れる行動との関連性について考えるとともに、実験や観察といった方法で研究している心理学では「心」を使わず、「反応」という言葉を使う.そして、人間の誕生から死にいたる生涯全体に及ぶ生の営みを、心の働き、その行動へのあらわれ、そしてそれがもつ人間的意味という3つの面からとらえようとして、心を多くの成分に分けて考えたが、近年、そのうちいくつかの成分については、脳との関連が脳科学による研究法の発展により明確になった.だからといって、その数々の成分を根底でつかさどっている中心の成分、生命を与えている根源そのものと考えられていた「自我(self)(ego)」または「魂(a soul)(spirit)」、あるいは「自分自身(my self)」とは何であるかは、やはり説明できてない.

3.3 脳科学による心の解明

 古くは自然と人とのさまざまな営みの根源には、ギリシア語で息、風、霊、などを意味する「プネウマ(pneuma)」があると考えられていた.また、目には見えないが人と人、人と自然それぞれのつながりにもプネウマが働いて、その声を聞いたり、その働きのしるしを感じ取ったりすることができるし、このプネウマによってこそ、人は共に生き、輝くことができると考えられていた.
1791 年、ドイツの解剖学者・医師ガルヴァ-ニ(Luigi Galvani 1737~1798)がカエルの脚を使って動物電気を発見し、神経伝達機構の究明の道を開いた.また、イギリスの化学者・神学者プリ-ストリ-(Joseph Priestley 1733~1804)らは、革新的な実験法を開発し、空気中の酸素の発見をはじめ、さまざまな気体を分離するとともに、体内の熱は化学反応によって生じることを発見した.1774 年、プリ-ストリ-はフランスを訪れ、空気の成分を発見したことをフランスの化学者ラヴォアジェ(Antoine Laurent Lavoisier 1743~1794)に説明した.ラヴォアジェはただちに、目に見えないようなものでもさまざまな物質で構成されていることの重要性を発見し、近代化学の確立につながる化学革命へのきっかけとなったのである.体内の熱発生の要因とされていた霊的存在、プネウマはこの化学革命によって、完全に否定されることになった.
 脳の研究もこのときを境にして、近代生理学の形成期と足並みをそろえるように、大発展期を迎えるのである.イギリスの生理学者シェリントン(Charles Scott Scherrington 1861~1952)らの研究によって、ニュ-ロン部分では電気信号による伝達が行なわれ、ニュ-ロンとニュ-ロンの間にある接合部(シナプス部分)では、化学物質による信号伝達が起こるということが解明された.これは電気系と化学系という2種類の伝達機構を使用することによって情報を伝える、「情報伝達回路」(ニュ-ロン・ネットワ-クまたは神経回路と呼ぶ)としての脳の構造解明への足がかりを与えることになった.
 第2次大戦後、シェリントンの下で学んだカナダの神経学者で脳外科医のペンフィ-ルド(W.Penfield 1891~1976)は、脳手術にさいして大脳皮質の電気刺激に基づいた新たな「機能的局在論」を実質的に施行した際、患者の同意を得て大脳皮質の様々な部位に電極を刺し、電気刺激を与えて、その時の患者の様子を観察した.その結果、患者の頭の側面、耳の上のあたりにある領域は、脳科学に決定的な影響をもたらした.いわゆる「脳の局在説」という考えがその実験によって証明されたからである.
 しかしペンフィ-ルドは、脳の局在説を証明したものの、そこから導きだした結論は、「脳に心はなく、心は脳の外にある」というものであった.
1958 年ヒュ-ベル(D. H. Hubel 1926~)とウィ-ゼル(T. N. Wiesel 1924
~)によって発見された、特定の刺激と特定の状況にのみ反応する視覚神経細胞の存在は、やがて80年代、90年代にさまざまな認識細胞の仮説を生む先べんとなった.物体像が視覚的に提示されると、私たちの脳にはそれぞれの物体像に対応した神経細胞の活動が起こる.その物体像の認識にいては、現在、大きく分けて2つの考え方がある.1つは、個々の物体像そのものに対応している特定の神経細胞があるという考え方である.機能局在を1 個の細胞レベルまで押し進めようとする立場である.この考え方に従うと、おばあさんの顔にのみ反応する「おばあさん細胞」が、おじいさんの顔にのみ反応する「おじいさん細胞」があるということになる.もう1つは、さまざまな図形特徴に対してそれぞれ選択的な細胞があり、これらの細胞の組み合わせによって個々の物体像が表現されているという考え方である.この考え方によると、それぞれの物体像は、その物体に含まれる図形特徴の組み合わせによって表現されることになる、情報表現は1 個の細胞のレベルまで必ずしも局在せず、複数の選択性の不完全な細胞の集合によって認識対象が表現されているとする立場である.
 1970 年から80 年代にかけては、コンピュ-タ-科学が爆発的な進歩を遂げた.その進歩と呼応するように、脳の精神活動とコンピュ-タ-の情報処理の仕組みを同じように考えることが次第に強くなってきた.この脳の一元論は、認知科学者デイビット・マ-(David Marr 1916~1998)の計算理論の登場によって決定的になる.マ-は、シナプスの情報伝達回路がコンピュ-タ-とまったく同じ働きをするという例を参考に、脳とコンピュ-タ-は同じ仕組みで説明できる可能性があるということを理論面から裏づけた.
 この情報処理システムの存在は、脳が高度な情報処理をしていることを証明したが、同時に脳の情報処理はス-パ-コンピュ-タ-を何台もつなぎ合わせても不可能なほど複雑で高度なシステムだということを認識させられることとなった.にもかかわらず脳の中の肉眼では見えないレベルのいろいろな現象により心の諸問題を解く方法論を発展させてきた.また心の諸問題を肉眼では見えないレベルで脳の中のいろいろな現象で解く方法論が発展させ、解剖学、電気生理学、実験生理学、発生生理学などの知見とともに、認知機能が脳のどの部位で行われているかを画像で見るPET(陽電子放射断層撮影層置)やMRI(核磁気共鳴断層装置)などの「新しい脳活動システム」が導入され、またニュ-ロン・ネットワ-ク(神経回路)や神経システムを再現するシミュレ-ション技術などを取り込んで、その研究法はまさしく日進月歩の勢いである.そして、科学技術を駆使すれば心は脳のどこかに見つかるという脳一元論へと、より方向を先鋭化させている.

3.4 脳科学の問題点

 脳の感覚過程における情報処理は、大脳皮質を構成する約140 億の神経細胞の活動によって行なわれているとされる.神経細胞は、それぞれシナプスで他神経細胞と結合しているが、大脳皮質全体のシナプスの総数は10 万×140 億個に達する.この超天文学的な数のシナプスが複合しながら無数の神経回路網を作っているのである.そして神経細胞は機械の部品のように固定されているのではなく、刻々と細胞分裂によって新しく生まれ変わっているので、神経回路も常に変化している.また、これら無数の神経細胞はみな同じ遺伝子をもっているが、それぞれ違った環境と時間で分化してでき上がっているので、神経細胞とシナプスをみな同じ単位とみなして積み上げても、脳全体の働きを説明することにはならない.したがって、どんなに努力して、ある1部位の詳細なメカニズムを解明しても、脳全体の機能である心を明らかにすることはできないというのが現実なのである.
 自然の現象そのものの法則を探究する自然科学という普遍的真理や法則の発見を目的とした体系的知識を応用した脳科学も、結局は脳を無機的な物質にあてはめようとしていることになる.こうして得られた知識は「客観的証明された事柄」として受け取り、たとえそれがどんなに限られた範囲内のことであろうと、どんな生物であろうと全てに当てはまると見なすようになった.また、あらゆる事象はその知識を基に理解、解釈しなくては根本的な理解は得られないという思想や思い込みが、科学革命以降、支配的になった.そしてそれに基づいて、さらに新たな事実を積み上げさえすれば、脳の働きもこれまでにたどってきた無機的な考え方で解釈できると科学者は信じている.そのため、これまでの思考法では、生きている細胞を基本的な要素にしている「生命現象」と「機械の働き」を、根本的に同じ仕組みによって活動するものとして混同してしまう.私たち人間にとって何らかの物事を明らかにして、理解するということは結局、ただ自分が納得できるという満足感や安心感をえること、あるいは再現して生活に利用できるようになるということに過ぎない.
 つまり、私たち人間に与えられた能力では、全体に起こっている単純で普遍的な仕組みだけをありのままに捉え、納得したり、満足したり、利用したりすることができるだけで、「生命現象の根本的な仕組み」を機械と同じように理解し、その現象を再現することはできないと悟る必要がある.

4.脳と桜の成長

4.1 神経幹細胞の存在による新理論

 人間の脳全体では数1000 億個以上の神経細胞があるとされ、その細胞の構築は電気的に興奮するニュ-ロンと、ニュ-ロンの活動、維持を助ける働きをしているその10 倍もの数の非興奮性細胞であるグリア細胞との網の目からなる.ニュ-ロンは普通の細胞とは違い、周囲から神経突起というものが多数伸びている.そのうちの一本は特に長く、軸索と呼ばれている.そして、ニュ-ロン同士の間をつなぐシナプスと呼ばれる構造で互いに連絡しあっていて、ニュ-ロンに発生する電気的信号は軸索や神経突起を通り、シナプスの化学物質を介して隣のニュ-ロンへ伝えられる.このシナプスを介するニューロンへの信号伝達網が、「脳の細胞組織の基本的な構造」(以下、ニューロン・ネットワーク組織と呼ぶ)となっていると考えられている.
 また、脳の実質的な神経機能を生み出しているニュ-ロン・ネットワ-ク組織の大部分は、胎児期にすでに出来上がったもので、この細胞はいったんでき上がると、もう二度と分裂しないと考えられていた.生まれたばかりの新生児に比べて成人の脳が大きいのは、ニュ-ロン以外の細胞であるグリア細胞が増えることと、シナプスおよび電気的に興奮するニュ-ロンに対する絶縁体として働くミエリンという構造物などが発育期に付け加わるからでと考えられていた.そして成人してからの脳では、一日数万個のニュ-ロンが死んでいくだけで、増えることはない.これがだれも疑わなかった教科書的な定説であった.
 しかし1997 年、スウェ-デンのサ-ルグレンスカ大学病院のエリクソン
(PeterS.Eriksson 1936~)とソ-ク生物学研究所のゲ-ジ(Gage 1940~)らは、成長を終えた大人の脳(成人の脳)でも、少なくとも記憶と学習に重要な働きをしている側頭葉の内側にある海馬においては、ニュ-ロンが日常的に新生していることを発見した.またここ数年間で、その成人の脳の中にも、神経系に属する各種の細胞に分化を遂げていない未分化で多様性(その時点でどのような細胞になるのか決まっていない)をもつ「神経幹細胞」が見つかったことにより、「高等動物の成人の脳ではニュ-ロンの新生は起きない」というかつての定説が覆されてしまった.
 成人の脳においてニュ-ロンが新生することが明らかになった結果、ニュ-ロン・ネットワ-ク組織は決して固定されたものではなく、常に変化していることが考えられる.また、いつも新しい情報が記憶として、積み重ねられて心を生み出しているのではないかと考えることができるようになった.

4.2 神経幹細胞と生長点細胞

 桜も成木になるとその発育も止まってしまうように見える.その理由は樹齢を重ねるうちに風に吹かれたり害虫に侵されたりして強い枝だけが残り、新たに芽を生み出すことができる「生長点細胞」の数がだんだんと減ってしまうからである.しかし、老木でも「生長点細胞」の数はだいぶ少なくなるものの生きている限り毎年春になると、また数少ない新しいつぼみからまた鮮やかに開花し、新緑となり成長していく.このように脳も全体の「神経幹細胞」の数は減っていくが、桜と同じように、生きている限りは次々と新しい芽を出し成長していると解釈できる.
 これまで、脳の働きを理解しようと多大な努力が払われてきた.依然脳の働きは大変複雑なものととらえられている.しかしそれは、人間は何か特別な生物であって、特別な性質やメカニズムを持っているように考えたからではないか.人間を生物のひとつととらえると、植物や動物、真菌、ウイルスなど生きているものすべてには、共通する仕組みがある.それは、必ず誕生から死まで常に自己と非自己とを認識し、休むことなく「生き続ける」未分化な成長点を持っているということである.分化を終えた成長点は何らかの痕跡を記憶として残し、それを積み重ねながら自己としての記憶を変化させていく.この分化できる部分つまり成長点と、それによってできた部分つまり記憶が生命の基本と考えられる.
 脳の生長点である「神経幹細胞」は非対称分裂によって、新たな神経幹細胞と神経細胞という二つの異なる娘細胞になる.それによって膨大な数の「神経幹細胞」から分化し続けている脳は、器官(ニュ-ロン・ネットワ-ク組織)としての重要な役割を果たしている.とりわけ、休むことがない「神経幹細胞から神経細胞への分化」は、「与えられた環境と脳内の記憶からの情報」とを基に確実に自分の個性を獲得し続けている.つまり感じ続けている.その神経細胞が役目を終えると、記憶としてグリア細胞が残る.その間に次の「神経幹細胞群」は分化し、いつも新たにニュ-ロン・ネットワ-ク組織は更新され、脳は桜と同じように成長し続けている.
 これもまた、桜に例えれば理解しやすい.桜は自然界で風に吹かれたり、太陽の光を受けたり、雨に打たれたりして常に自然のあらゆる刺激を受け、それぞれの枝の芽にある無数の「生長点細胞」はその中で繊細に光と温度を感じ取って分化し、芽や花を咲かせ、葉を茂らせて実をつける.そうして、一年間の成長した新しい枝として、つまり記憶として残り、また新しい「生長点細胞」が生まれる.それらが集まって、空間の中で太い幹から無数に分かれた小枝まで立体的な一本の、刻々と成長している桜を構築しているのである.つまり脳と桜は同じように限りなく変化し、成長していることになる.

5.心はどのように生まれるのか?

5.1-脳の発生過程からの推測-

 心は脳からどのようにして生まれるのかを考える上で、その脳の発生と構成に関する基礎的知識をもつことは大切なことである.私たちの脳は1 個の受精卵から分化して膨大な数の細胞が形成される間に出来上がっていく.その1 個の受精卵はあらゆる臓器に分化できる能力があり、受精後およそ3 週目途中の
胎生期には、神経幹細胞があらわれ、胚発生の初期に脳は中枢神経系の幹細胞である神経上皮細胞が分裂と増殖を繰り返して、盲端になっている一本の管(くだ)(神経管)になる.その管の上端(頭側)の部分はやがて脳になる3 個の膨大部を生じる.これらを前から後へ前脳胞・中脳胞・菱脳胞である.前脳胞はさらに著しく発達して終脳はまた大脳となり、大きく左右に向かって膨隆し、そのおのおのが半球状を呈しているので、これを大脳半球という.中脳胞はあまり発達しないが、菱脳胞はさらに分化して橋・小脳・延髄の3 部 に分かれる.
このうち橋と小脳を合わせて後脳、延髄のことを髄脳という.
 脳の基本的な構造は、脊椎動物については進化を通じて保存されているが、進化の大きな傾向としては、大脳の発達が挙げられる.例えば爬虫類の脳では、大脳は大きな嗅球の付属物に過ぎないのに対して、哺乳類では中枢神経系の大部分を占める.人間では、大脳は間脳と中脳の大部分を覆うまでに巨大になっている.異なる種の脳の容積の相対成長の研究では、ネズミからクジラまで連続性が現れ、中枢神経系の進化の様子が推測できる.とくに人間で高度の発達を遂げた前脳(のちに終脳と間脳に分化する)の部分はその大きな形態とそこから生まれる機能について興味深い.
 桜の木も同様に一個の種から幹、枝、葉、そして花に成長して一本の木になる.特に季節の変化や年月の変化に合わせて、小枝にあるつぼみから開花、新緑や紅葉へと外界に反応している桜の姿は、まるで私たち人間の大脳のように感じられる.


5.2 形態と機能

 私たちは外界からのいろいろな刺激を、それぞれの刺激に対応した感覚器官、たとえば、音刺激ならば内耳神経などの聴覚器官、光刺激ならば眼や網膜や視神経、皮膚の温感などを通して受けとめ、それによって外界の物事だけではなく、頭の中に浮かんでくるすべての物事に対しても、脳はその時そのままの有様である形態と、その形態の変化によって生まれる機能とを組み合わせて認知している.機能は形態の変化に伴う現象である.私たちは桜を目で形態として認識するが、その形態の変化はとても遅いので、機能としては認識できない.しかし、私たちは短い日時の間に開花から満開になり、そして無残に散って行く花の形態の変化を記憶しているので、満開の花を見たときに、脳の中で一瞬に桜の花の変化として思い浮かべて、その命のはかなさを機能として感じることができる.
 見たものや聞いた音など、感じた場面や様子のすべてを記憶の中で形態や機能をして再現できるのは、脳に入力されてくる情報のうち視覚と触覚は形態とその機能を、聴覚、臭覚、それに味覚は目に見えない形態を機能によって捉えているからである.外界のいろいろな刺激因子を無数に張り巡らされた各種の感覚器で同時に電気信号に変換され、それぞれに対応する局所の神経細胞網の興奮活動となり、そして脳全体の神経細胞網で認知される.それが神経幹細胞の分化に影響を与えて、より新たな記憶となる.この途絶えることがない過程によって脳内で見たり、聞いたり、味わったり、触れたりしていないことでも、あたかも現実の様子や場面のように脳内で再現して認知することができる.

 5.3 時間の役割

 事実として感じている自分の意識(自己意識)はあたかも時間が止まっているようだ.しかし、私たちの脳は桜と同じように成長している.大脳にある「神経幹細胞群」は自分の環境の変化だけではなく、時間の流れに基づいた(過去の)記憶にも反応し続けている.だから、私たちの心の中にある大量の記憶を、過去から未来に渡って意識するために、時間はなくてはならない要素である.生まれて間もない新生児はほとんど微睡の状態であるが、空腹になると目が覚めて泣き、母親から乳を飲ませてもらうとまた安心して眠るといった、短い覚醒と長い睡眠を繰り返す生活をしている.この時期の脳や感覚器はまだ未熟で、自己と非自己の認識もはっきりしない.しかし乳児期を過ぎると目や耳が成長していくにしたがって外界から情報がなくても、自ずと(脳の中で)外界を認識(再現)できるようになる.やがて急速に大脳皮質がさらに成長し、覚醒する時間が増え、外部環境(外界)に対する認識も高まって、自分自身を感じる意識(自己意識)も芽生えながら変化してくる.こうして睡眠と覚醒をはっきり使い分けることで、時間の流れとともに新しい記憶は積み重ねられている.このうちの必要がない記憶は捨てられる.「生きていると感じる」意識の中には過去から現在、未来という「時間の要素」がある.一方で、自然と社会では、歳月を基にした歴史という「時間の要素」があるし、日本では四季がはっきり認識でき、桜も鮮やかに成長していく.その結果、私たちの記憶の背景には必ず細かく日時や年月、季節の概念も関連付けられている.

5.4 自己意識

 脳も他の臓器と同じように母親のお腹の中で成長して完成する.そして、出世時はまだ意識もなく、もちろん自分のことなど分からない.しかし、出生直後から様々な感覚器からの刺激で脳はさらに成長して3歳ごろ自分の存在を知ることになる.つまり「自我(self)(ego)」、あるいは「自分自身(my self)」を感じるようになる.その自分を基に、身の周り(外界)と実際にないものを思い浮かべること(内界)から感じ取ることができるすべての物事が脳の中で新たな記憶となって形成されていく.それが「自己意識」でる.
この過程もまた、毎年、芽の成長によって無数に枝分かれする桜と基本的に
変わらない.このようにして新しくできた枝もすべてが残るわけではなく、折れたり、成長できずになくなってしまうものも少なくない.そうして樹齢は重ねられて、樹形も変化していく.
 体に張り巡らされた感覚器から外界を認識し、重要と感じた情報は脳にある「未分化の神経幹細胞群」に伝えられ、脳の中にある根本的な記憶(自我または自分自身)と比べて、新しい記憶(ニュ-ロン・ネットワ-ク)を作って積み重ねて「自己意識」は変化して行くのである.目を閉じても、脳の中ではこの刻々と変化し、活動しているニュ-ロン・ネットワ-クがいわば「瞬時の自我」となって、そのネットワ-クの中で過去の記憶を検索して、現実の目の前にはない場面も、あたかも実在しているように映し出して思い浮かべることができる.一方、桜の「自我」は無数の「生長点細胞」であり、脳の様なニュ-ロン・ネットワ-クは存在しないが、「生長点細胞」の各々が自分の環境で分化、成長している.
 私たちは外界からの情報がないとき、例えば寝ているときに脳の中で夢を見るという現象も、この考え方で説明できる.いろいろな記憶を脳の中で組み合わせることで、見ているかのように描き出したり、比べて考えたりすることができる.考えるということは、過去の自分と今の自分を取り巻く外界を比べて判断することである.その時の判断は常に正しいと思うが、時がたつとまた考えが変わる(いつも再認識している).その時その時に判断したこと、または考えたことが記憶となって蓄積される.これらも、いろいろな自分を再現して認知する大きく発達した大脳の働きの1つである「自己意識」のメカニズムであると考えられる.

5.5 直観

 会話さえできない乳幼児期は、好奇心が強く、可愛らしく微笑んだり、泣き声を上げるなど、ものごとを分別し反応する.その頃は「神経幹細胞群」は外界に対して一生でもっとも活発に分化している時期だと考えられる.勿論、そのときに科学的根拠に基づく知識など必要はない.直観を経て心に至るまで、脳も桜のように成長する.
 その「直観」とは、わずかな何かの刺激に対して、いろいろと考えたり想像したりしないで、瞬時に鋭く感じとることである.それはもっとも大切な「心の要素」である.つまり本能に近い、動物的な心でもある.そして直観で得たことは、さらに物事を考えることによってはっきりした心、自分の意思「自己意識」になる.
 脳と桜の「直観力」の違いは「神経幹細胞」と「生長点細胞」の個性の違いにある.過ぎ行く季節の変化に脳が発揮する直観力は、桜の「生長点細胞」の「直観力」に劣ることも、勝ることもない.
暦がなく季節もあいまいだった昔、私たち人間は桜の力を借りて農事を行っ
た.つまり、野山に美しく咲く桜の花を見て、田植え時期や秋の実りの豊かさを判断したと考えられる.

6.心の発達過程

 人間ははっきりとした自己意識がある状態で生まれるのではなく、栄養摂取、体温調節、外敵からの保護など生命の維持にかかわるいっさいを養育者にゆだねなければならない状態で生まれてくる.そのころの脳の機能にはまだ、心はない.その後、体は自然に成長していくが、外界からの情報や刺激がなければ、見たことも聞いたこともないものが脳の中で、自ずと心が出来上がることはない.心は、受け継がれてきた知識を与えられたり、技術を習得したりして、個人として自立する能力を学習することによって発達し出来上がる.それは約20年もの長い間をかけて成人、社会人の心になる.
 わが国でよく使われる「心有る」とか「心無い」、または「良心」という表現も、人間社会の誕生から現在まで培われてきた人間同士の依存の仕方、つまり、仕組みから生まれたものと考えられる.つまり、私たちの心は、個人と人間社会や自然に対する脳の記憶を基に生長して成り立っていて、人間社会で育った証でもある.そして自然または人間社会で生きていくには、お互いに正しい依存の態度、自然の掟や人間社会のモラルを守ることが必要であると認識されてきたことを物語っている.
 心は人間と人間の、また人間と自然の依存関係の中で長い時間と努力をかけてつくられた記憶である.「お互い様」という言葉も、譲歩、妥協する努力によって穏やかに事を解決しようとする心の表れである.人間社会の歴史が積み重ねてきた「知恵」でもある.この知恵は簡単には壊れない.このように大量の記憶を蓄積できるようになった大きな脳には、人間同士の相互依存と自然環境への依存を基に構成された計り知れない心(知恵)を習得することができる.この知恵をもとに脳は自己の生命を維持するだけではなく、より懸命に生きていける手段を選択しながら学習を繰り返して進歩する.
 つまり心は遺伝子情報の中には含まれていない.クローン技術が進めば、短時間で細胞の遺伝子をコピーして生命をつくることができるが、同じ心をもつ人間をコピーするのには同じ年月と、その人が育ってきた環境とが必要であり、不可能なのである.

7.あとがき

 これまで私たちは「科学を基にした考え方で、豊かな社会になる」と信じてきた.しかし、現在ではいくら科学の知識を獲得しても身の回りの環境の変化(高齢化問題、地球人口の爆発的な増加、深刻な事故)、想定外の出来事はより複雑で難題が多くなった.このままだと「悩みや不安が多くなり、安定した生活を送れない」という予感または失望感が増してくる.それは「科学の進歩や科学的な考え方」の裏には、私たちが気がついていないこと、避けてきた大事なこと(科学的な考え方では説明できない問題)が存在しているからである.
 例えば、人間が長生きをするようになったといっても、老化は避けることはできず、体の不調や不安を訴えて病院を受診する人々は増えるばかりで、その根本的な変化を止めることはできない.人生を楽に全うさせてくれない.人類が初めて経験する今日の超高齢化社会への適応方法を教えてはくれない.安らかに楽しく生きる方法を、科学や医学は何も教えていない.
 人間の能力には限界があり、自然の法則の中で私たちは「直観」や「心」に頼って生きてきたことを何時も忘れてはいけない.「科学の考え方」は数々のことがらの比較による利益だけをみて、難題の想定外の事柄については軽視し、それを考えてこなかった副作用がこれから徐々に顕著化していくのではないか?また「科学的根拠」とは「もう証明された事柄」なのだからと自分自身で確かめて納得したわけではなく、簡単に受け入れてきた.それはまた都合のいい解釈によって、いろいろな方向に派生し、果てしない様々な考え方は一人歩きして止められない.
 私たちにとって科学の進歩とは何か? 人間の幸福にとってどうしても必要
なのか? どこまで必要なのか? メリットの裏に深刻なデメリットが隠されてないか? これまでの科学の考え方、方向性はそれ自体が拡大解釈されて、自己満足に陥ってしまってはいないか?
 この疑問に答えるには、「私たち人間に与えられた心とは何か?」、「心を満たしてくれるものは何か?」、「先人たちは一生の難題をどのように考えてどのような心で乗り越えてきたのか?」などをよく考察し、一人ひとりが自然の中の自分自身と社会の問題点(困っていること)を正直に捉え、素直に表現する必要があるのではないか? 失敗を恐れず自然の営みの中で自分の個性を知り、自分の役割を考えながら生きていけば、やがては幸せを感じるのではないか?
 診察室で診ていると、人間にとって体の局部の症状だけではなく、背景にある「心」の状態の大切さが解る.「心とはなにか?」、「自分とは何か?」、「心は脳からどのようにして生まれるのか?」、「心は何のために必要なのか?」についてあらゆる人たちに解ってもらい、自分らしく、理にかなった楽しい人生を真剣に送れるようになれば幸いである.  

http://www7b.biglobe.ne.jp/~neural0stem0cell0/

 
 
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