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結局人間が自然を理解するのですが、その理解の在り方の問題です。
他の動物と人間には認識能力に違いがあるし、認識は自然をすべて捉えられるわけではない。
むしろそのことによって人間は認識できるのかも知れない。
そして認識の本質が問題になるわけです。
物理的には何もなくなりませんし何も生まれません。
しかしわたしは死ぬ、亡くなると表現します。
これは認識の在り方の問題です。
座標原点でわかるように認識はいったん静止させる。
わたし、という人間は赤ん坊から成人に至るまで運動変化しない同一性として捉えられる。
生死はたんに物理的状態の質的な変化です。
人間という物理的状態は現実にには運動変化しているのですが、同一性として認識なければなりません。
だから質的な変化の時にこの捉え方は限界を生じます。
たんなる物理的状態の運動変化の一形態でしかないことを生死として捉える。
物理的には何も無くならないし何も生まれないのに。
自然はただただ存在するだけです。
それを理解するのは人間の側の問題です。
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