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この掲示板はもう動いてないのですか?
意識とは何か?自分とは何か?という科学と哲学の終着地点についての崇高な議論を邪魔するようなカキコ(←死語?)は、やめてください。
今、ふと思ったのですが、
”意識”というものと、”自分”というものは、区別しないとダメですね。
昨日、茂木先生に恐れ多くもメールしたのですが、あのアドレスはどこで手に入れたのかよく覚えてないので、そのメールがちゃんと先生のパソコンの受信トレイに入り、先生の目に入り、脳の深い部分にガツンと入るかどうか分かりませんが、そのメールの中で、僕は”意識”と”自分”を混同してたように思います。
”意識”は科学できても、”自分”は科学できません。
これが僕の結論です。
自分はやっぱり誰にとっても特別です。
究極の主観です。
0です。
0<X<∞です。 フフフ・・・、分かる人には分かる。
誰にとっても、”自分”は科学の立ち入れる領域ではない。
”意識”は解明できても、”自分”は解明できない。
と言うと、脳を研究する科学者は、”意識”のシステムそのものが自分なのだとおっしゃるはず。
でもそれって何か悲しい気がする。
自分がまさに自分と思ってるのは、脳細胞が複雑なシステムによって作り出した幻想だということか。
そんなアホな。”自分”は、脳の中にどんなに複雑なシステムがあろうとも、そのもう一段上のレベルに居る!
と思ってしまうのは僕だけでしょうか?
意識についての難しい堂々巡りの思考をしている人たちはみんなそう思ってるんじゃないですか?
言葉を『やさしい問題』として捉えるだけでなく、『むずかしい問題』としての側面もあるということに気づいて深い深い思考にはまっていくような崇高な自分の存在の全てが、『脳内の複雑な電気信号のやりとり』で片付けられていいのですか?
自分を形成するシステムが解明されるなんてことは、あってはならない。
でも自分は(如何なるシステムを以ってであれ)間違いなく存在する。
それがこの論議のおもしろいところ。
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